最高裁判所第二小法廷 昭和28年(オ)1453号 判決 1955年11月18日
名古屋市中村区賑町一丁目一番地
上告人
林忠治
名古屋市中区南園町一丁目一二番地
被上告人
御園座株式会社
右代表者代表取締役
猪飼正一
右当事者間の店舖占有回収請求事件について、名古屋高等裁判所が昭和二八年一一月一七日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人横井栄太郎の上告理由第一、二点について。
本件の場所は被上告人所有にかかる名古屋市中区南園町所在、劇場「御園座」の西附属別館三階に在る二坪の場所であつて、
(一) 上告人は昭和二二年一〇月被上告会社より本件場所を売店として使用する目的の下に賃料は一ケ月金八百四十円期間は同年一二月末迄とし、保証金として金壱万弐千円を納入し、訴外成田喜三郎を保証人として賃借したもので、上告人は被上告会社劇場内にある他の売店と同様に、自己の負担に於て外観上は家屋であるかの如き周囲の板壁等の必要なる構築を為した上、内部にはカウンター戸棚等を設備し音羽屋と称する土産物の小売店を経営していたものである。そして右売店は劇場内にあつて観客を対象とするものであつたから、劇場の休業日及び閉店の際は上告人の責任において本件売店に施錠戸締の上上告人がその鍵を保管していたものである。
(二) 本件場所の賃貸借は半年を期間とする約定であつたから、上告人は第二回、昭和二三年一月より同年六月末迄更に第三回として同年七月より同年一二月末迄の賃貸借契約を第一回と同様の約旨で締結したのであるが、昭和二三年七月分からの賃料は全然支払わず、又同月からは売店を開かなかつた。そこで被上告会社は劇場の美観上も思わしくないし、又他の売店に対しても迷惑をかけるので上告人に対し引続き店を開くか、さもなくば契約を解除して営業を廃止するか其の処置を決定するよう請求した。其の結果上告人は昭和二三年一二月の興行の時だけ売店を開いたが、右興行の終了後は再び店を閉めたままで営業をせず、上告人が昭和二四年も引続き売店営業をするのであれば、当然昭和二四年一月一日に賃貸借契約を締結すべきであるに拘らずこれをも締結せずに店舖設備を放置していたものである。
(三) 本件場所附近は観客の便に供する為の各種の売店があるので、上告人一人が店を閉鎖して放置していることは附近の売店には勿論、観客のためにも不都合なことがあり、被上告会社劇場の美観上からも極めて不都合であつたので、被上告人は上告人に対し継続して契約を締結するかさもなくば備品を搬出されたいと再三返答を求めたけれども、上告人は昭和二四年五月頃唯一度一寸待つてくれと申したのみで、その後は何等の返答もせずに、賃貸借契約を締結するのでもなく又開店するでもなく、本件店舖には商品等も殆ど残置するものなき状態で昭和二六年八月迄約二年八ケ月を徒過していたものであることは、原判決の確定するところである。
右のような経過事情の下において、上告人が「占有の奪取」が行われたと主張する昭和二六年八月当時にあつては、上告人は本件場所に対して事実上の支配を及ぼすべき客観的要件を喪失していたものと解するのが相当であつて、従つて、当時、上告人は右場所に対し占有を持つていなかつた旨判示した原判決は正当であり、論旨引用の大審院判例は本件に適切でない。論旨は理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)
昭和二八年(オ)第一四五三号
上告人 林忠治
被上告人 御園座株式会社
上告代理人横井栄太郎の上告理由
第一点 占有の法理に徹せず又は之を誤解したる前提の下に占有の事実を否定したる違法を免れない。
一、原判決は控訴人(上告人)の控訴(請求)を棄却する理由として「其の理由は原判決(第一審判決)理由の記載と同一であるから之を引用する」と言うに於て第一審判決理由なるものを閲するに其の冒頭には『原告(上告人)が被告(被上告人)所有にかかる名古屋市中区南園町一丁目十二番地上劇場御園座西附属別館云々を基点として南に二間、東西に一間(間口二間・奥行一間)の二坪の場所に音羽屋と称する土産品の小売店を出していたことは当事者間に争なく』とあつて折角上告人主張の二坪の場所の占有事実を確定しながら、
二、次で又同判決理由には「而して成立に争なき甲第一、第二号証、証人加藤光子の証言により鍵の存在を認め得る甲第三号証、証人加藤光子、同渡辺良一、同住田春治、同水谷兼次郎の各証言、原告本人訊問並に現場検証の結果を綜合すると次のことが認められる」とて(一)乃至(三)の事実を掲げて之を確定しながら、
即ち其の(一)には『原告は昭和二十二年十月被告会社より本件場所を売店として使用する目的の下に賃料は一ケ月金八百四十円、期間は同年十二月末迄とし保証金として金一万二千円を納入し訴外成田喜三郎を保証人として賃借したもので原告は被告会社劇場内にある他の売店と同様に自己の負担に於て外観上は家屋であるかの如き周囲の板壁等の必要なる構築を為した上内部にはカウンター、戸棚等を設備し売店を経営していたものである』とて上告人(原告)の当該売店、従つて其の場所の占有事実を確定しながら、
其の(二)にも亦『本件場所の賃貸借は半年を期間とする約定であつたから原告は第二回昭和二十三年一月より同年六月末迄、更に第三回として同年七月より同年十二月末迄の賃貸借契約を第一回と同様の約旨で締結したのであるが昭和二十三年七月分からの賃料は全然支払はず又同月からは売店を開かなかつた。そこで被告会社は云々其の結果原告は昭和二十三年十二月の興業の時丈売店を開いたが右興業の終了後は再び店を閉めた儘で営業をしなかつたが原告が昭和二十四年も引続き売店営業をするのであれば当然昭和二十四年一月に賃貸借を締結すべきであるに拘らず之をも締結せずに店舖設備も放置していたものである』とて尚ほ上告人は売店を取毀ち之を撤去することもなく、従つて其の場所を進んで返還することもなく依然として其の場所の占有を継続していたことを確定しながら、
更に其の(三)には『本件場所附近は観客の便に供する為の各種の売店があるので云々被告は原告に対し継続して契約を締結するか、さもなくば備品を搬出されたいと再三返答を求めたけれども原告は昭和二十四年五月頃唯一度一寸待つてくれと申したのみで其の後は何等の返答もせずに賃貸借契約を締結するのでもなく、又閉店するでもなく本件店舖には商品等も殆ど残置するものなき状態で昭和二十六年八月迄約二年八ケ月を徒過していたものである』とて甲第四号証の二に『決して御返還(本件場所を)を促す訳には無御座候』とあるの意に添うて依然上告人が売店(一戸の家屋であるように構築したる設備)を所有するに依りて其の場所を占有する事実を確定しながら、
三、同判決は翻然として『右認定のような経過事情の下に於て将して原告の占有の奪取があつたと云う昭和二十六年八月当時に於て原告が本件場所を占有していたと認められるものであるか否かについて按ずるに』と前置して先づ占有とは何ぞやとの説示を下した。曰く「民法上の占有は社会観念上その物がその人の事実的支配に属するものと認められる客観的関係にあることを指称するものである」と謂うのである。其の謂う所の社会観念上とか客観的関係なるものの真体を上告人は理解することを得ないが抑々上告人の本件売店又は売店の敷地に相当する場所に対する占有は占有の心素と占有の体素とを具備する外に尚ほ社会観念上客観的関係なるものに依つて其の存否が認否せられねばならぬであろうか。
此の点につき疾くに大審院は占有とは自己の為めにする意思を以て物を所持することを謂うものとす (イ)自己の為めにする意思を以て物の所持を始むることに依り開始し、(ロ)爾後右所持の喪失又は占有意思の抛棄まで存在する事実関係を称して占有と謂うものに外ならずと宣示したのであるが(大審院大正一二年(オ)第六七二号同一三年一〇月七日民聯合判決・評論一三巻民法八四八頁)今貴庁に於て更に之を闡明宣示せられんことを上告人は希求して止まない。
四、夫れ上告人は右大審院が占有の意義に関し疾くに闡明宣示した所に従つて本件第一審判決の理由の前段、殊に其の(一)乃至(三)として掲記する所のものは何れも上告人の占有を肯認したものであると読解し続けたところ、
豈計らんや同判決は其の後段に於て前叙占有の意義の説示を第二前提として『前記認定のように原告は本件場所に一応の施錠ある売店形式の店舖設備を有していたとは云え(上告人は此の事実をこそ上告人の占有継続の事実と理解するのであるが)前述の如き事情の下に於ては社会観念上原告が当時本件場所を事実上支配していた、即ち占有していたと認定することは困難であつて唯本件場所に若干の売店設備を放置していたに過ぎないものと認めるのが結局相当である』と説示し『然らば右占有の事実が認められない以上該占有ありたることを前提とする本訴請求は爾余の点について判断を俟つ迄もなく失当である』と判示して上告人の請求を棄却した。
五、此の判示は畢竟占有の意義又は法理を誤解するに座するものか然らずんば理由不備の違法があると謂はねばならぬ。
第二点 上告人の占有は何処に消えたか。
一、原判決が理由の全部を引用する第一審判決は其の理由の冒頭に於て「原告が被告所有にかかる名古屋市中区南園町一丁目十二番地上劇場御園座西附属別館三階北隅云々南に二間、東西に一間(間口二間・奥行一間)の二坪の場所に音羽屋と称する土産品の小売店を出していたことは当事者間に争なく」として居るから該音羽屋と称する小売店、従つて又其の敷地に相当する二坪の場所を上告人(原告)が占有していたことを認めねばならぬであろう。
二、又第一審判決が成立に争なき甲第一、二号証等証拠に依つて認めたとする所に依れば其の掲記する所の(一)に於ては「原告は昭和二十二年十月被告会社より本件場所を売店として使用する目的の下に云々賃借したもので原告は被告会社劇場内にある他の売店と同様に自己の負担に於て外観上は家屋であるかの如き周囲の板壁等の必要なる構築を為した上内部にはカウンター、戸棚等を設備し売店を経営していたのである云々劇場の休業日及び閉店の際は原告の責任に於て本件売店に施錠戸締の上原告が之が鍵を保管していたものである」として居るから右売店、従つて又其の敷地に相当する二坪の場所を上告人が占有していたことを認めねばならぬであろう。
其の(二)に於ては「本件場所の賃貸借は半年を期間とする約定であつたから云々第三回として同年(昭和二十三年)七月より同年十二月末迄の賃貸借契約を第一回と同様の約旨で締結したのであるが昭和二十三年七月分からの賃料は全然支払はず又同月からは売店を開かなかつた云々原告は昭和二十三年十二月の興業の時丈売店を開いたが右興業の終了後は再び店を閉めた儘で営業をしなかつたが云々店舖設備も放置していたものである」として居るから上告人は営業をしなかつたが外観上家屋であるかの如き売店(音羽屋)を存置所有して其の敷地に相当する二坪の場所を依然占有していたことを認めねばならぬであろう。
其の(三)に於ては「本件場所附近は観客の便に供する為めの各種の売店があるので云々被告は原告に対し継続して契約を締結するか、さもなくば備品を搬出されたいと再三返答を求めたけれとも原告は昭和二十四年五月頃唯一度一寸待つてくれと申したのみで其の後は何等の返答もせずに賃貸借契約を締結するのでもなく又開店するのでもなく本件店舗には商品等も殆ど残置するものなき状態で昭和二十六年八月頃迄約二年八ケ月を経過していたものである」として居るから本件場所を賃貸借の目的としたる場合借家法の規定の適用あるか否かとは別として上告人は昭和二十六年八月当時に於ても尚ほ売店音羽屋を存置所有し其の敷地に相当する場所を占有していたことを認めねばならぬであろう。
三、右第一審判決の各説示又は判示する所のものは何れも上告人の占有を肯定し確定したものであることを疑はしめないものであるに拘らず其の理由の段段に於て「前記認定のように云々前述の如き事情の下に於ては社会観念上原告が当時本件場所を事実上支配していた、即ち占有していたと認定することは困難である」と判示して上告人の占有を翻然として否定した。
果して然れば抑々上告人の占有は何処に移り何処に消えたか。
被上告人が上告人に致したる甲第四号証の二には『決して御返還を促す訳には無御座候間御高承被下度』とあり斯かる諒解の有無に拘らず現実に音羽屋なる売店を存置し所有して居るに拘らず上告人が二ケ年余に亘り売店を休業したとのことを以て法律上占有喪失の原因と為し得るや否や。
此の点につき大審院は本件に聊か類似する昭和四年(オ)第一四五一号事件につき同五年五月六日の判決に於て「今之ヲ本件ニ観ルニ原判決ハ上告人ハ大正十二年九月一日震災ノ際迄本件ノ土地ノ上ニ家屋ヲ所有シ居リタル処右震災ニ因リ右家屋焼失シ上告人亦一時其ノ行方判明セサルニ至リタル事実ヲ確定シ該事実ニ基キ上告人ハ右震災ニ因リ事実上本件土地ニ対スル支配ヲ失ヒ其ノ所持ヲ喪失シタルモノト断シタルモノナリ。然レトモ右確定シタル事実ノミニ依リ上告人カ本件土地ニ対スル所持ヲ喪失シタルモノト為スカ如キハ一般社会観念上到底之ヲ許サルヘキモノニ非ス。従テ原判決ハ占有ノ法理ヲ誤解シタルカ若ハ理由不備ノ違法アルニ帰着シ全部破毀ヲ免レサルモノトス」と断じ居り、(評論一九巻民法八二八頁)
本件につき上告人が甲第四号証の二に依り被上告人の諒解を得たるや否やを顧みず二ケ年余に亘り休業を続けたことを以て売店音羽屋又は其の敷地に相当する二坪の場所の占有を喪失したものと断じ去ることは許されないであろう。
四、是を以て本件につき抑々上告人の占有は何処に移りたるか何処に消えたか、果たまた被上告人は如何にして上告人の占有を喪失せしめ、而して又如何にして自ら之を獲取したかにつき思を及ぼさねばなかつたものである。
原判決は思を之に及ぼさなかつたばかりでなく上告人が昭和二十八年十月二十四日の原審口頭弁論期日に此の点に関し為したる証拠申出をも顧みなかつたものであるに於て益々以て原判決は審理不尽の譏を免れ得ない。
何れの点からするも原判決は破毀されるの外はない。
以上